交野ヶ原ものがたり

天空の地上絵にちらばるものがたりたち

天の川・交野ヶ原に散らばるストーリーズ

交野・枚方は古くから「交野ヶ原」と呼ばれる丘陵地であり、先人たちが天の川を中心に建設した天体の地上絵、大スペクタクルが広がっています。

本プロジェクトは、2020年までに交野・枚方を、「日本遺産」へ登録することを目指します。そして、その活動の中で、「交野ヶ原」に散らばる「星々」とつながりを強くし、来たるべき2021年以降、世界に範を示すことにできる「課題解決先進国」となる礎を築いていくことを目的としております。

天空を祀った地

天空を祀った地

日本は、国旗にも現れているように太陽を価値の源泉として祀ることが多いです。

この交野ヶ原はその逆で夜空を描いた史跡が多く残っています。 その象徴なのが、北極星です。

楠葉に位置する交野天神社は、北極星に位置すると言われており、桓武天皇はこの地に自分の父親を天帝として祀りました。

天の川を挟んで、交野側にある機物神社はベガ、いわゆる織姫星にあたります。こちらは七夕伝説でも知られていますが、1万年後には北極星になる星としても知られています。

そして、交野の星田にある、星田妙見宮は妙見(北辰)を祀っています。

妙見信仰というのは、北極星を天帝とみなす信仰であり、桓武天皇も非常に篤く信仰されていました。

交野ヶ原にある天空の地上絵はまだまだ謎だらけのミステリーであり、もしかすると、古事記、日本書紀編纂以前の文明も示唆されるかもしれません。

天神降臨の地

天空の支配者である北極星を祀っているこの交野ヶ原は実際に天の神様が降り立った伝承も残っています。

日本書紀によれば、初代天皇であり、現在の皇室の先祖である神武天皇が九州方面から東征する際、この地にもう一人、天から降った神様がいたそうです。

その名は、ニギハヤヒノミコト(饒速日命)といい、神武天皇と同じく、天照大神から地上へと派遣された神様であります。

現在のそのニギハヤヒノミコトが天から降りて来る際に使ったと言われる磐船が交野と奈良の境目、磐船神社に鎮座しています。

このことからも、この交野ヶ原を含む河内地方には古事記、日本書紀編纂以前に大きな文明や文化が存在していたと言えるかもしれません。

天神降臨の地
桓武天皇の隠れ家

桓武天皇の隠れ家

古事記・日本書紀の編纂は、平城京に都を置いていた時代に遡ります。

平城京を治めていた天皇は天武天皇の祖先にあたりました。 天武天皇は壬申の乱で、兄である天智天皇の息子、大友皇子(弘文天皇)に勝利し、天皇に即位しましたが、天武系の血が途絶え、天智系の光仁天皇へと戻ります。

高齢で即位した光仁天皇の次に即位したのが、息子である桓武天皇です。

桓武天皇は天武系の権力を平城京に残し新しい都、長岡京へと遷都しました。

新しい都を開くにあたり、中国から伝わった郊祀をこの交野ヶ原で行いました。

その際、自らの父親を天帝として、新しい時代の幕開けを天へと報告したのです。

また、桓武天皇の母は、百済王武寧の末裔であり、この地は母方のふるさとであり、心やすい地であったに違いありません。

さらに、また、蝦夷の英雄、アテルイもこの交野ヶ原で斬首されたといいます。

長岡京、平安京を造成した桓武天皇にとって、交野ヶ原は自分を振り返る離れの地だったのかもしれません。